ガリガリに痩せていた白い仔猫がめぐりめぐって我が家にやって来ました。フロル(ラテン語で花の意味)と命名され、相棒アメショーのひじきも加わり、くりりん家での生活が始まりました。
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猫を飼いたくなったひょんな気持ち 
2006年02月27日 (月) | 編集 |
 家族はともかく、私は爬虫類、両生類のたぐいが好き。一番飼いたいペットは?と聞かれれば「グリーン・イグアナ」と答え、その気持ちは今でも変わっていない。
 でも愛しいイグアナは成長すれば1メートル50センチにもなると知り、いくらおとなしいとはいえ、55平米ほどのマンション住まいでは飼うことは無理な話。
 
 その代わりと言っては申し訳ないが、イモリ7匹とアホロートル(通称ウーパールーパー)一匹を飼っている。
 去年まではカナヘビ3匹を飼い、冬眠も成功させたがちょっと油断していたら3匹とも死んでしまった。決して懐くことはなかったが、手にのせるとつらつら寝入る姿が愛らしかっただけに、自分の不徳の至る所で死なせてしまったことに罪悪感を覚え、野に生きるものはもう飼うまいと誓った。

 時折水替えや餌をあげる以外に触れあうことのない、ウーパールーパーとイモリだけがペットではやはりさみしい。
 一年前にパートをやめ、友だちとの約束がなければ一日ぼ~の生活の苦痛と(贅沢ですが)、思春期を迎えつつある子供たちとのバトル。何となく殺伐とした日常を緩和してくれるものが欲しくて、(飼えばそれなりの大変さも知りつつ)心のどこかでずっとペットを求めていた気がする。

 それでも当初、猫は選択肢にはなかった。猫屋敷特有の猫臭さが記憶にこびりついていたからと、家族の誰一人として「猫が飼いたい」という者がいなかったからだ。
 
 娘はずーと犬を飼いたがっていたが、狭いマンションでは無理に近い。ペット不可物件ではないにしろ、吠える声に神経を使い、散歩の度にこそこそするようなストレスは人間ばかりか犬にとってもいいわけがない。
 そしてもっと正直に言えば、配達の仕事で犬に何度も吠えまくられた事により、私の犬好き指数はかなり低下した。躾や犬種にもよるのだろうが、「かまってちょうだい!」攻勢にも体力の限界が・・・などと友人の愛犬を見るたびに思う。

 てなわけで、私がイグアナが無理とすれば飼いたかったのは鳥。実家で数匹飼っていたので、セキセイインコのいる生活の楽しさは忘れがたい。ただ鳥については夫がいい顔をしなかった。加えてインコならば羽根を切らず、自由に飛べるようにしてあげたい願望があったので、いつか窓から逃げてしまうことは必至。かといってハムスターは臭くてうるさいし、すぐ死んでしまうのでもう2度と飼いたくない。

 ペットを飼いたいが飼えない状況がだらだらと続いていた時、「猫」というキーワードは実は複雑にじんわり私の中に浸透していたのに気がついたのは去年から。
  QUEENのフレディ・マーキュリーが愛猫「ディライア」に捧げた歌を気に止めたのがはじまりだったのかも・・・・。この曲の存在を知ってはいたが晩年の曲でもあり、私は長いことかっとばしていた。でも「フレディは猫が好きだった」という事実は段々私の心の中で大きくなっていく。

 そんなある日、友人宅に寄らせてもらった折、その家で飼われていた2匹の猫との出会いが「猫飼いたいかも」という気持ちを決定的にしたと思う。
 そのHさん宅が捨て猫を立て続けに2匹飼っていたのは知っていたが、きちんとご対面したのはその日が初めてだった。
 もう2サイ近い成猫2匹。ブチとキジトラの♂。ブチはいそいそ散歩を楽しむ傍ら、キジトラ猫は日がな昼寝をしている。「おいでよ~」と抱きしめてもするりと身をかわし、私の後ろにあるお気に入りのソファでひたすら寝入る。抱きしめるのはあきらめて、その猫に毛布代わりのタオルをかけてあげた時、思いも寄らぬ感情がざわわんとみなぎってきた。・・・・・・・かわいい・・・・・。

 そのキジトラ猫はニャンとお礼を言うでもなく、ただタオルをかけられたまま延々と寝ていただけなのだが、なんでそれをかわいいと感じたのか。
 でもその日から私の「猫が飼いたい」病がふつふつと巻き起こったわけなのです。
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